原点/子供時代

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子供時代

…9歳の頃にはもう、社交の場で話すことが好きでした。

 

原点/はじまり

「小さい頃、学芸員が書いたサン=シモンの回想録で、ヴェルサイユについてわかることは何でも読みました。博物館の学芸員になることを夢見ていたのです。そして、祖母がまるで昨日の出来事のように18世紀の話をしてくれました!この町で、デカルト的、論理的で厳しい一面を身につけたけれど、同時に気まぐれでバロック的な面も身につけました」

アニエスベーは人生の非常に早い時期から洋服をデザインし、決して時代と共に廃れることのないクラシックな定番と街のトレンドの組み合わせで、自分らしいスタイルを表現してきました。スナップカーディガン、オーバーオール、ダンガリー、ペチコート、ボーダーTシャツ、ライダースジャケット、スウェットシャツ、エプロンドレスなど、様々な世代のどんなスタイルにも応用できる数え切れないほどのファッションに欠かせないアイテムを生み出したのです。明るい色と暗い色、濃い黒、赤へと変わっていくピンクなど、多様な色の組み合わせや、自然だけでなくストリートアートに発想を得たり、その時代の装束を参考にしたモチーフなど、アニエスベーの美を追求する姿勢は豊かで多様です。

『自画像』, ca 1975, ©agnès b.

原点/スタイル

「当時、私はフリーマーケットの掘り出し物をよく着ていました。彼女は私のスタイルを気に入ってくれたに違いありません。だって、私を雇ってくれたのです。そこで2年間働きました。」

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スタイル

「当時、私はフリーマーケットの掘り出し物をよく着ていました。彼女は私のスタイルを気に入ってくれたに違いありません。だって、私を雇ってくれたのです。そこで2年間働きました。」

あるディナーパーティーで、アニエスベーは雑誌『ELLE』の編集者アニー・リブマルに出会いました。アニエスベーに魅了されたリブマルは、彼女をウィークリー記事のスタイリストとして雇いました。アニエスベーは、2年間エレーヌ・ラザレフやピーター・ナップと肩を並べて働き、手頃な価格の洋服を紹介しました。この時期にエリー・ジャコブソンとその妻ジャクリーヌなどと知り合い、重要な人脈作りをします。ドロテビスという既製服ブランドを立ち上げたばかりだった夫妻のために、アニエスベーはすぐに洋服のデザインを描きました。

カール・ラガーフェルドやエマニュエル・カーン、ミシェル・ロジールと仕事をしたこともあります。

この白いガーゼのロングワンピース(表紙)やショートパンツのオーバーオール(1977年)など、アニエスベーのデザインは『ELLE』で定期的に特集されました。これらのデザインは『marie claire』でも大変人気がありました。1977年8月、当時のアニエスベーの代名詞となった2つのアイテム、ペチコートとレザージャケットが、『ELLE』に登場しました。このスケッチブックページ(1970年頃)には、アニエスベーの言うところの「理想的なワードローブ」が紹介されています。

原点/パリジャン

「甘さでラフさを打ち消している」

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若いパリジャンたちはとてもエレガント

「甘さでラフさを打ち消している」

アニエスベーは当初から、繊細でありながらシックでカジュアルなスタイルを生み出し、パリジャンたちを「心境を表現するスタイル」のファッションアイコンに変える立役者となりました。

パリジャンたちは、1977年4月号の『Dépêche Mode』のために撮影されたダブルボタンのヘリンボーンウールコートや、『marie claire』の1976年6月号のためにスティーブ・ハイエットが撮影したこれらの2枚の写真にすっかり魅了されました。アニエスベーは、ブラウンのコットンポプリンのキモノスタイルのワンピースやこのキャメルのベルベットのピンストライプスーツで、典型的なパリジャンのシンプルでエレガントなシルエットを巧みに創り出しています。

 

原点/カジュアルシック

「私にとって洋服は、何か別のことを考えられるようにするために自分に合うかどうか、というフィーリングがすべてで、単なる手段なのです。

誰かをいい気持ちにさせたり、魅力を感じてもらったり、より良くすることができれば嬉しいのです。」

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「カジュアルシック」

「私にとって洋服は、何か別のことを考えられるようにするために自分に合うかどうか、というフィーリングがすべてで、単なる手段なのです。

誰かをいい気持ちにさせたり、魅力を感じてもらったり、より良くすることができれば嬉しいのです。」

ショート丈のブルゾンジャケット、スモック、コットンフランネルのスウェットシャツ、コットンシャツ…本当にたくさんの着やすく、アニエスベーを語る上では欠かせないアイテムがあります。

 

原点/第1号店

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1973年、アニエスベーはブランド名を登録しました。このブランド名の背景となるエピソードは60年代に遡ります。当時『ELLE』で働いていた彼女は、書いた記事に署名をする必要がありました。

この最初のブティックは1975年に、パリのレ・アールの隣のルー・デュ・ジュール(ジュール通り)3番にある、以前は肉屋があった場所にオープンしました。

「準備していなかったのです。[中略] だからこう言いました、「アニエスベー(agnès b.)とだけ書いておいて」と。ライターのフルネームを使わないときは、記事の署名はそのようになっていました。そしてその時、自分の手書きのサインからロゴを考案したのです。」

この最初のブティックは1975年に、パリのレ・アールの隣のルー・デュ・ジュール(ジュール通り)3番にある、以前は肉屋があった場所にオープンしました。

原点/ルー・デュ・ジュール3番

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…そして、すべてはジャン=レネと一緒に始まりました。

1976年頃のルー・デュ・ジュール3番のブティック、アニエスベーと夫のジャン=レネ・ド・フルリオの写真。

原点/1977年フランソワ・パンのドキュメンタリー 

「私はファッションよりも洋服が好き。」

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「私はファッションよりも洋服が好き。」

アニエスベーのブティックでは、アニエスベーの言う、理想的なワードローブに欠かせないアイテムが見つかります。ダンガリー、ペチコート、白いブラウスなど、彼女にとっては女性らしさの象徴であるアイテムがいろいろな生地で用意されています。

媒体掲載(1975年、1976年より)と1977年のフランソワ・パンのドキュメンタリー。

 

原点/ルー・デュ・ジュール

「私はむしろ時代のスピリットに関連した服やその他多くのものを描き、デザインをし、常にそれらに変化を加え続けていると言いたいのです。」

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本店、ルー・デュ・ジュール

「私はむしろ時代のスピリットに関連した服やその他多くのものを描き、デザインをし、常にそれらに変化を加え続けていると言いたいのです。」

アニエスベーのブティックは、人々が洋服を買うためだけの場ではありません。

ここは、人々が出会い、ゆったりしたり、音楽を聴いたり、文学について語り合ったりする場であり、子供たちがブランコに乗って遊べる場なのです。ルー・デュ・ジュール3番は、時代に先立つコンセプトストアです。洋服以外のいろいろなものに焦点を合わせた、アニエスベーにうってつけの場所なのです。

「事実、ここはファッションに影響力を持つストリートです」。アニエスベーは<クリエーター>ではなく<スタイリスト>と呼ばれることにこだわります。彼女が言うには、<クリエーター>では<大げさ過ぎる>のです。

 

原点/初のメンズショップ

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アニエスベー オムブティック、ルー・デュ・ジュール(ジュール通り)2番。

原点/男性の服をデザインするのが好き

私は男性の服をデザインするのが好きです….

「男性の服をデザインするのは本当に楽しい。[中略] まるで自分のヒーローに再会したり、17~18世紀や前世紀からの男性に出会えるかのように、自分の想像力を解き放つのです。」

「私のメンズコレクションにはフェミニンな一面があります。ツイードのベストは柔らかく、素材は軽く、ラインは体の線に沿うように…手触りがとても重要なのです。」

1981年から、アニエスベーはメンズ服もデザインしています。

1950年代のスリーピースのスーツ、ダンディなルックス、ニューウェーブエレガンス、1940年代~60年代にかけての写真は、彼女にとってメンズファッションの規範なのです。

原点/数百軒の店

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1980年に、アニエスベーはソーホー地区にニューヨーク最初のブティックをオープンしました。

国際的で異文化に対してオープンで、活気に満ちた地区にいたいという彼女の気持ちは、ここに出店場所を選んだことにも表れていると言えるでしょう。 日本へはその4年後に出店しました。

過去30年にわたり、数百店舗のアニエスベーのブティックが世界中に次々に誕生しました。

 

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